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宇都宮地方裁判所 平成2年(ワ)29号 判決 1992年12月16日

原告

中村幸史

右訴訟代理人弁護士

塩津努

大熊良臣

篠連

被告

栃木県

右代表者知事

渡辺文雄

右指定代理人

加藤美枝子

外八名

主文

一  被告は、原告に対し、一億一六四五万一四八一円及びこれに対する昭和六二年二月一八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項記載の認容金額につき二分の一の限度で仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一億三五六二万五〇三四円及びこれに対する昭和六二年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  原告勝訴判決に仮執行宣言が付される場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

原告は、昭和四四年七月八日生まれの男子であり、後記2の本件事故当時、宇都宮市<番地略>所在の栃木県立宇都宮南高等学校(以下「宇都宮南高校」という。)に在学し、同校野球部(硬式)に在籍していた。

被告は、宇都宮南高校の設置者であり、同校野球部部長粂川義昭(以下「粂川」という。)及び同校野球部監督秋元栄(以下「秋元」という。)は、いずれも同校の教諭であって、被告の公務員である。

2  本件事故

原告は、昭和六二年二月一七日午後五時五分ころ、宇都宮南高校野球部練習場において、秋元監督立会指導の下、野球部のハーフバッティング練習中、ハーフバッティング投手として、投球をしたところ、打者である小倉健嗣(以下「小倉」という。)が打ち返したボールを右側頭部に受け、頭蓋骨骨折、急性硬膜下血腫、脳挫傷の傷害(以下「本件傷害」という。)を受けた。

3  被告の責任

高等学校における野球部の部活動は学校教育の一環であり、国家賠償法一条にいう公権力の行使には、公立学校における教育活動も含まれる。粂川及び秋元が、宇都宮南高校野球部の部長及び監督として、野球部の練習を指導することは、被告栃木県の公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うことに該当するところ、秋元及び粂川は、次の過失により、本件事故ないし本件傷害を発生させたものであるから、被告は、国家賠償法一条により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

(一) 秋元監督の指導上の過失

秋元は、宇都宮南高校野球部監督として、練習方法の指示に際しては、生徒の身体に危険を及ぼすことのないよう配慮した練習方法を採用し、また、危険な状況となったときは即刻当該練習方法を中止して他の練習方法に切り替える指示を出すなどして事故の発生を未然に防止するとともに、一旦事故が発生したときは適切な事後措置を採り、生徒に重大な傷害等の結果が生じるのを防止すべき教育監督上の注意義務があった。しかるに、秋元は、以下の過失により、原告に本件傷害を負わせた。

(1) 危険な練習方法を指示し行わせた過失

本件事故当時行われていたハーフバッティング練習は、野球部員が二組に分かれ、投手はバックネットを背にして実戦の七、八割程度の力で投球し、打者は投手から一〇メートル前後離れたところからバックネットに向かってジャストミートを目的としてコースによって打ち分けて打ち返すというものであった。したがって、ハーフバッティングといっても、投手と打者との距離が一〇メートル前後という至近距離であり、打ち方、投げ方の力加減が若干違うほかは、フリーバッティングに類似した、極めて危険性の高い練習方法であった。しかも、本件事故当日は、事故の時刻ころには、雪が降り始め、時刻も午後五時を過ぎ、視界も暗くなって、打ち返されたボールの方向を認識しがたい状況になっていた。しかるに、秋元は、漫然と、右の練習方法を指示して行わせた上、視界が暗くなっても、早期に練習を切り上げさせる等の指示を出さず放置していた過失がある。

(2) 事故後の不適切な措置による過失

本件事故後、原告の回りにいた野球部員が、うずくまっていた原告の両脇を抱えて三塁側ベンチまで歩かせて連れて行きタオルを冷して頭部に当てたが、原告は、そこで、意識を失って痙攣を起こし、全身が硬直するような状態になった。そして、秋元監督は、原告を秋元所有の乗用車に乗せ野球部コーチ山崎芳男(以下「山崎」という。)に運転させて、倉持整形外科病院に運んだが、同病院では、適切な処置ができないとされ、原告は、救急車で高橋脳神経外科へ転送され、手術を受けたが、同外科に到着した際には、既に瞳孔が開いて生死五分五分の状況にあった。

ところで、本件事故は、ボールが原告の頭部にポコッという大きな音をして当たり、跳ね返らずそのまま下へ落ちるという態様の事故であり、かつ、原告が事故直後その場に頭を抱えてうずくまったことから、事故の重大性を容易に判断できるものであったところ、このような場合、秋元はじめ学校側は、原告の頭部に振動を与えないよう頭部を水平にしたまま安静を保ったうえで、救急車を呼んで専門家である救急隊員の適切な判断を仰ぎ、脳神経外科の病院に運ぶべき義務を負っていた。しかるに、秋元らは、前記のとおり、原告を立ち上がらせて歩かせたうえ、安易に乗用車で打撲の専門病院である倉持整形外科病院に運ばせて適切な医療処置を遅れさせており、事故後の適切な処置を怠った過失がある。

(二) 粂川部長の過失

粂川は、宇都宮南高校野球部部長として、日頃から練習方法の安全性に配慮し、危険な練習方法が行われている場合には、練習方法を改善するよう、秋元監督及び山崎コーチに申入れるなどして、生徒の身体に危険を及ぼすことのないよう配慮すべき教育監督上の注意義務を負っていた。しかるに、粂川は、過去に何度もハーフバッティング投手に打球が命中するという事故が起きていたにもかわらず、過熱した野球部の練習を省みることなく、漫然と右練習方法を放置して、本件事故を発生させた過失がある。

4  原告の受けた損害

(一) 治療費等

金九六一万八九二一円

(1) 治療費、装具代

金七七五万二九二一円

原告が支払った実費合計額九六〇万二八〇円から日本体育学校健康センターからの給付額一八四万七三五九円を差し引いた額である。

(2) 入院付添費

金九八万四〇〇〇円

一日当たりの付添費四〇〇〇円に、原告の昭和六二年二月一七日から同年一〇月二〇日までの要付添入院日数二四六日を乗じた額である。

(3) 入院雑費 金八八万二〇〇〇円

一日当たりの入院雑費一二〇〇円に原告の昭和六二年二月一七日から平成元年二月二〇日までの入院日数七三五日を乗じた額である。

(二) 家屋等改造費

金三九四万円

(三) 後遺症による逸失利益

金七五六八万三八二七円

原告は、本件傷害により、左上下肢は全く動かすことはできず、右上下肢は動かすことはできても完全ではなく、頸部の突起によって頸椎神経が引っ張られ、いつ切れるかわからず、歩行不能となった。また、脳波の異常は著明で回復の見込みがなく、事故前1.5であった視力が0.1に低下している。右後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令別表等級の第一級に該当し、労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。

原告は、昭和四四年七月八日生まれの男子であり、症状固定時(平成元年二月二一日)の満二〇歳から六七歳までの四七年間は稼働可能で、その間年収四二〇万九一〇〇円(賃金センサス昭和六二年第一巻第一表高卒男子労働者による。)を挙げ得たのであり、これに労働能力喪失期間四七年間に対応するライプニッツ係数17.9810を乗じて、現在における一時払額を算出すると金七五六八万三八二七円となる。

(四) 将来の付添費(介護料)

金三〇七一万二二八六円

原告は、平成元年七月二六日栃木県身体障害医療福祉センター(以下「身障センター」という。)を退院し、自宅療養することとなったが、前記後遺症のため、父母の付添看護を受けることとなった。右退院以降の近親者の付添費を一日当たり金四五〇〇円として計算すると、年額は一六四万二五〇〇円となり、これに平均余命五六年に対応するライプニッツ係数18.6985を乗じて現在における一時払額を算出すると金三〇七一万二二八六円となる。

(五) 慰藉料 金二三三八万円

(1) 入院慰藉料 金三三八万円

昭和六二年二月一七日から平成元年二月二〇日までの入院期間についての額

(2) 後遺症による慰藉料

金二〇〇〇万円

(六) 弁護士費用

金一一一九万円

右(一)ないし(五)の損害合計額から、原告が日本体育学校健康センターから障害見舞金として受領した金一八九〇万円を差し引いた金額一億二四四三万五〇三四円が損害となり、これに対応する日本弁護士連合会の報酬規定による着手金と報酬の合計額は一一一九万円であり、同額が弁護士費用相当の損害金となる。

5  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項による損害賠償請求権に基づき、金一億三五六二万五〇三四円及びこれに対する本件事故発生の翌日である昭和六二年二月一八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3冒頭の主張のうち、粂川部長及び秋元監督が野球部の練習の指導をすることが、被告の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うことに該当することは認めるが、その余は争う。

(一) 同3(一)のうち、秋元監督に事故防止の一般的な教育監督上の注意義務があったことは認める。

(1) 同3(一)(1)のうち、ハーフバッティング練習が、投手がバックネットを背にして、全力投球時の七、八割程度の力で投球するものであることは認め、その余は否認する。ハーフバッティング練習は、バットの芯でボールをとらえ、かつ、ボールに逆らわず左右に打ち分ける打撃の基礎練習として広く行われている練習方法であり、栃木県内の高校の多数の硬式野球部においても採用されているもので基本的に危険な練習方法とはいえない。本件事故当時、宇都宮南高校野球部で行われていたハーフバッティング練習では、投手と打者との距離は一五ないし一六メートル程度とられ、打者は、全力で振り切ることはせずに、五割ないし七割程度の力で打ち返していたものである。更に、投手の前方にはL字型の、また隣の組の打者方向斜め前方には矩形型の防球ネットが設置され、投手に向かって飛来する打球による危険に対する備えも十分にされていた。また、本件事故時の天候は曇りであったが、雪が降っていたということはなく、まだ日没前(本件事故当日の日没時間は午後五時二二分である。)であり、五〇ないし七〇メートルの距離でフライを捕る外野ノックは支障なく行われていたのであって、ハーフバッティング練習をするのに十分な明るさで、特に視界が悪いということはなかった。したがって、本件事故当時、ボールが見にくいという状況になかったもので、秋元監督がハーフバッティング練習を続けさせていたことに何ら過失はない。

(2) 同3(一)(2)のうち、本件事故後、回りにいた部員が、その場に倒れ込んだ原告を抱えて三塁側ベンチに運んだこと、タオルを濡らして原告の頭部を冷したこと、原告を秋元監督所有の乗用車に乗せ山崎コーチに運転させて倉持整形外科病院へ運んだこと、原告が、同病院から救急車で高橋脳神経外科へ転送されたことは認め、その余の事実は知らない。秋元監督及び学校側の事故後の措置に適切さを欠いたところはなく、事故後の学校側の対応によって、原告の損害が発生ないし拡大したことも認められない。本件事故発生から原告が高橋脳神経外科に収容されるまでの時間は約四〇分であり、学校側の対応は極めて速やかに行われている。また、秋元監督は、本件事故発生直後から高橋脳神経外科に到着するまで、原告をずっと横臥の姿勢のまま移動させたものであって、原告を搬送するについては、極力安静を保つように配慮していた。なお、原告を乗用車で倉持整形外科病院へ搬送したのは、同病院が宇都宮南高校野球部かかりつけの医療機関であり、近隣に他に適当な医療機関の存在しないこと、当時救急車を要請した場合の所要時間が相当長いと考えられたことから、とにかく同病院において医師の指示を得ることが最善と考えられたため応急処置を採ったもので、右措置には十分な理由がある。

(二) 同3(二)のうち、粂川部長に、生徒の身体に危険を及ぼすことのないよう配慮すべき教育監督上の一般的な注意義務があることは認めるが、その余は争う。過去に、宇都宮南高校野球部でハーフバッティング投手が練習中けがをした例はなかったものである。

3(一)(1) 同4(一)(1)のうち、原告が日本体育学校健康センターから給付を受けたことは認めるが、金額については否認し、その余は不知ないし争う。

(2) 同4(一)(2)は不知ないし争う。

(3) 同4(一)(3)のうち、入院日数が七三五日であったことは認め、その余は不知ないし争う。

(二) 同4(二)は不知ないし争う。

(三) 同4(三)のうち、原告が昭和四四年七月二八日生まれの男子であること、賃金センサス昭和六二年第一巻第一表、産業計・企業規模計・新高卒欄における年収が四二〇万九一〇〇円になることは認め、その余は不知ないし争う。

(四) 同4(四)のうち、原告が平成元年七月二六日栃木県身体障害医療福祉センターを退院し、自宅療養することになったことは認め、その余は不知ないし争う。

(五) 同4(五)は不知ないし争う。ただし、入院日数が七三五日であることは認める。

(六) 同4(六)のうち、原告が日本体育学校健康センターから障害見舞金一八九〇万円を受領したことは認め、その余は不知ないし争う。

三  被告の主張

本件事故は、原告が、打者に対して投球した直後から打者の打ったボールが原告の背後に飛び去るのを確認する等自己の安全が確認できるまでは、ボールから目を離すべきでなかったにもかかわらず、これを怠ったために発生したものであり、原告自らの過失に起因する事故であって、被告に責任はない。原告がボールから目を離したことは、ボールが当たったのが、原告の側頭部というよりむしろ後頭部に近い原告の右耳の後ろの部分であることから明らかに推認される。秋元監督は、本件事故以前から、野球部員に対して、ボールから絶対に目を離さないように指導してきたものであり、原告は、投球したら、ボールから目を離さないようにしつつ、防球ネットに隠れる、打球を機敏にはたき落とす、体をかわす等しなければならなかったのである。しかるに、原告は、秋元監督の指導を守らず、ボールから目を離したために、ピッチャー返しの打球の前に漫然と右耳の後ろをさらすという極めて危険な事態を自ら招いたのであり、本件事故は、基本的注意を怠った原告の過失に起因するものである。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張は否認若しくは争う。原告は、打球から目を離しておらず、身を屈めて防球ネット左下に隠れようとしたが、投手と打者との距離が短く、しかも打球が速かったため、これを避けられなかったものである。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二右争いのない事実に、<書証番号略>、証人沼尾守、同小倉健嗣、同秋元栄、同山田強、同中村源次の各証言、原告本人尋問の結果、検証の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認定することができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  本件事故当日である昭和六二年二月一七日の宇都宮南高校野球部の練習は、同校グラウンドにおいて、秋元監督及び山崎コーチ立会の下で行われた。練習は、ランニング、準備体操、キャッチボール、トスバッティングの順で行われ、その後、投手及び捕手を除く野球部員が二組に別れて、一組が秋元監督立会の下にハーフバッティング練習を行い、もう一組は外野グラウンドで山崎コーチの指導の下に守備練習を行っていた。

2  同校野球部で、本件事故のころ行われていたハーフバッティング練習は、同練習参加者が二組に別れて、グラウンドに固定されたホームベースの両側(一塁側と三塁側)に、バックネットに向けてバッティングケージを設置し、更にその中に可動式のホームベースを置き、各組ごとに、ケージ内に打者と捕手が構え、各投手はバックネットを背にして、交互にケージ内の自分の組の打者に対して投球し、打者は、これをバックネット方向に向かって打ち返すという方式のものであった。なお、各投手の前方にはL字型の、隣の組の打者方向斜め前方には矩形型の防球ネットがそれぞれ設置されていた。

3  同校野球部グラウンドの固定式ホームベースの先端(バックネット側)とバックネットとの間の距離は、約15.07メートルである。

4  ハーフバッティング練習において、当時の野球部員は、投手になるときは概ね全力の七、八割程度の力を入れるとの意識で投球をし、打者になるときは、個人差はあるが、概ね実戦の七割前後の力加減との意識でボールを打っていた。また、ハーフバッティングの打者は、この練習を、ジャストミートを心がけ、インコースの球は引っ張り、真ん中のコースの球はセンター返し、アウトコースの球は流し打ちというように、コースによって打ち分ける練習であると心得ていた。

5  ハーフバッティングの投手、打者、捕手の分担は、野球部員間で適宜交替して決めていたが、本件事故当時は、一塁側の組では、原告が投手(右投げ)を、沼尾守が捕手を努め、小倉が打者(左打ち)となって練習をし、秋元監督は、バッティングケージの後方でハーフバッティング練習を指導していた。なお、もう一方の組のハーフバッティング投手は山田強が努めていた。

6  本件事故当日午後五時五分ころ、原告の投じたボールを小倉が打ち返したところ、これがライナーとなって原告の右側頭部を直撃し、その瞬間大きな音がするとともに、原告はその場に倒れた。秋元監督は、野球部員らに指示して、原告を三塁側ベンチに運ばせた後、秋元監督所有の乗用車に乗せ、山崎コーチに運転させて倉持整形外科病院に搬送させた。その後、原告は、同病院から高橋脳神経外科に救急車で転送されて、治療を受けたが、本件事故により本件傷害を負った。

三1  本件事故当時のハーフバッティング投手(原告)と打者(小倉)の位置及び両者間の距離に関しての、関係人の供述の要旨は次のとおりである。

(一)  捕手役であった証人沼尾守の証言要旨

宇都宮南高校におけるハーフバッティング練習の投手と打者との距離は一〇メートル弱である。本件事故のとき、原告は、バックネットの二、三メートル手前から投球していた。バッティングケージは、固定ホームベースの両脇の、ダイヤモンドにかからない位置に設置してあり、ケージの中央辺りに可動式ホームベースが置いてあった。本件事故のとき、捕手をしていた自分は、可動式ホームベースから五、六〇センチメートルのところにおり、打者の小倉は、可動式ホームベースより五、六〇センチメートル投手寄りのところで打っていた。自分と投手をしていた原告との距離は一〇メートル弱であったので、原告と小倉との距離は8.5メートルくらいということになる。

(二)  打者であった証人小倉健嗣の証言要旨

通常ハーフバッティングを行うときは、ハーフバッティング用のホームベースは固定式ホームベースの両脇に置いていた。本件事故のとき、原告は、バックネットから三メートル前後の地点から投げていた。平成三年一月五日に、宇都宮南高校のグラウンドに行って、通常ハーフバッティングを行うときの投手の位置とホームベースの位置とを想定して、その距離を歩測してみたら一四歩くらいだった。その際、山崎コーチも、その場にいたが、自分が、ハーフバッティング投手とホームベースとの距離について、大体このくらいでしたねと尋ねたところ、これに同意していた。後日、原告代理人事務所で、自分の歩幅を測ってみたところ、一歩は八二ないし八五センチメートルであった。本件事故当日の投手とホームベースの距離が普段より短いということは感じなかった。

(三)  野球部監督である証人秋元栄の証言要旨

宇都宮南高校では、ハーフバッティング練習は例年二月一日から開始するが、ハーフバッティングの投手と打者との距離については、自分が、練習を開始する日に、まず投手の位置を決めて、そこから歩幅で二二、三歩を測ってホームベースの位置を定め、野球部員に、その位置に用具を置くように指定して定める。本件訴訟提起後、歩幅を測ってみたが、これによると、投手と打者との距離は、一四、五メートルあるいは一五、六メートルになる。本件事故発生当日の投手と打者との距離はいつものとおりであったと思う。本件事故当日、ハーフバッティング用のホームベースは、一塁線及び三塁線に沿った位置で、固定式ホームベースから三、四メートル離れた地点に置かれていた。原告は、バックネットより二、三メートル手前の地点から投球していた。

(四)  隣の組の投手をしていた証人山田強の証言要旨

ハーフバッティング練習は、毎日ほぼ同じ場所でなされており、本件事故当日も普段より長いとか短いとかは感じなかった。投手の位置は、バックネットから二、三メートル手前だと思うがよく分からない。バッティングケージ及び可動式ホームベースの位置は、可動式ホームベースが固定式ホームベースと横に並ぶか、ケージの開口部先端が固定式ホームベースの横に並ぶかのどちらかくらいであった。平成二年に、同学年の野球部員であった友人と宇都宮南高校のグラウンドへ行き、自分が投手の位置、友人が打者の位置を想定して立ち、自分で一歩が一メートルくらいになるように歩幅を設定して、友人の位置まで歩いていったところ、歩数は一二、三歩だった。

(五)  原告本人の供述要旨

自分はバックネットの三メートルほど前から投球していた。打者は、固定式ホームベースの横辺りから打っていた。

(六)  原告の父親である証人中村源次の証言要旨

本件事故の翌々日、高橋脳神経外科において、秋元監督に事故の状況等を聞いた際、距離はどのくらいであったのかと尋ねたところ、秋元は、八メートルと答えた。昭和六二年九月二三日に、同病院近くのレストランで、再度秋元監督に事故の状況や練習の内容等について尋ねたときにも、秋元は投手と打者との距離は八メートルないし一〇メートルであると話していた。また、平成二年二月二〇日に、本訴を提起したことを報告するため、宇都宮南高校を尋ねた際にも、秋元監督は距離は一〇メートル程度であったとの話をしていた。

(七)  原告の母親である証人中村玲子の証言要旨

本件事故の翌日、高橋脳神経外科において、秋元監督から、通常の半分くらいの距離から投げさせていたということを聞いた。

2  そこで、右各供述の信用性ないし証拠価値について検討する。

(一)  沼尾証言

沼尾証人は、通常のハーフバッティングの投手と打者との距離及び本件事故の時の投手と捕手との距離をいずれも一〇メートル弱であったと明言している。しかし、その数値の根拠は「感覚」というのみで、実測したことは勿論、歩測したこともなく、また、宇都宮南高校のグラウンドに赴いて距離の確認を行ったこともないというのであって、同証人の証言は、ハーフバッティングの投手と打者との距離が通常の場合に比して相当程度短かったことを基礎付けるものとなりえても、同証人の言う距離の「感覚」の正確性の裏付けが得られない以上、右証言のうち距離に関する数値を直ちに採用することはできない。

(二)  小倉証言

小倉証人の供述する歩測結果に従うと、投手とハーフバッティング用のホームベースとの距離は、11.48メートルないし11.9メートルということになる。もとより、投手とホームベースの位置に関する小倉の記憶及び歩測結果には当然誤差が生じ得るところであるが、小倉が歩測をした際には、山崎コーチもその場に居合わせ、小倉の位置想定に同意していたというのであり、位置については一応の信用性を認め得るところである。また、小倉証人の証言するバックネットと投手との距離(三メートル前後)及び可動式ホームベースと固定式ホームベースとの位置関係を前提に、投手と可動式ホームベースとの距離を算出すると12.09メートルとなるところ、小倉証人の歩測結果は、これよりやや短めであるものの、概ね符号した数値となっており、この点に鑑みると小倉証言には相当程度の信用性を肯定することができる。

(三)  秋元証言

秋元証人の供述する投手と打者間の距離は、当時の野球部部員であった生徒ら(小倉、山田、沼尾の各証人、原告本人)の供述のうちいずれと比べてもかなり長いものとなっているうえ、前掲の中村源次、中村玲子両証人の供述と対比すると、秋元証言の信用性には疑いが生じるところである。もっとも、秋元証人は、中村源次と会った際に、投手と打者との距離についてメートルであれ歩数であれ発言したことはない旨供述している。しかし、<書証番号略>及び証人中村源次の証言によると、中村源次は、本件事故の原因、練習方法の適切性について関心を持ち、かつ、遅くとも昭和六二年九月に秋元監督と会った際には、ハーフバッティングの投手と打者との距離について強い関心を有していたことが認められるのであって、中村源次から秋元に対し、投手と打者との距離について質問がなされたと推定されるところ、秋元が複数回に亙り回答をしないで中村源次の納得を得ることは考えにくいところであって、秋元の前記証言は不自然さを免れずにわかに信用しがたいというべきである。

(四)  山田証言

山田証人の証言においては、投手及び可動式ホームベースの位置関係について曖昧なところが見られるが、歩測結果が一二、三歩であったとの供述部分が、証言の性質、歩測の状況に照らし、同証人の証言中では、最も証拠価値を有するということができるところ、同証人は、一歩を一メートルと想定して歩測したと述べており、これによると投手と打者との距離は一二メートルないし一三メートルということになる。この点、山田証人が想定した歩幅一メートルには誤差が生じていることがありうるが、同証人の供述によると同人の身長は一七五センチメートルというのであるから、一メートルを超える歩幅をもって歩測を行うことは容易でないと考えられるところであり、誤差が生じていたと仮定するならば、山田証人がグラウンドで想定したところの投手と可動式ホームベースとの距離は、一二ないし一三メートルより短かったと考えるのが自然である。

(五)  原告本人の供述

原告本人の供述については、本件事故によるショック、本件傷害を負ったことに起因する記憶の減退等を考慮すると、高度の信用性を認めることはできないものの、投手と打者の位置関係に関する供述(なお、これによると投手と打者との間の距離は約一二メートルとなる。)には、特に不自然な点はなく、その内容も小倉証言、山田証言と概ね合致しており、少なくとも、右両証言を補強するものとしての証拠価値を認め得ると考えられる。

(六)  中村源次、中村玲子の証言

中村源次、中村玲子両証人の供述するとおり、秋元監督が、投手と打者との距離につき、八ないし一〇メートルであった、あるいは通常の半分くらいであったとの発言をしたことがあったとしても、秋元がそのように判断し述べた根拠は不明であり、高い証拠価値は認めがたいところであって、中村源次、玲子の証言は、前掲の秋元証言の信用性を減殺するものと評しえても、前掲小倉証言、山田証言を排斥するに足りるものとはいえない。

3  以上で認定あるいは分析した事実関係、関係人の供述内容及び証拠価値等を総合的に検討すると、本件事故当時ハーフバッティングの投手をしていた原告と打者との距離は、多少の誤差はありうるものの概ね一二メートル程度であったと推認するのが最も合理的である。

四1 そこで、右認定を前提に、本件ハーフバッティング練習の危険性について判断するに、本件事故の際の投手と打者との距離は、正規の投手とホームベースとの距離(18.44メートル)の約三分の二ということになり、右距離は、投手に向かってライナー性の打球が飛来した場合には、投手が瞬時に回避措置を採ったとしても確実に打球を避け得るに足りる距離とは認められず、二方向に防球ネットが設置されていたことを考慮しても、本件事故当時行われていたハーフバッティング練習は安全性を備えた練習方法とはいいがたい。もっとも、ハーフバッティング練習においては、打者は、七、八割程度の力で、投球コースによって打ち分けることを意識しており、試合時やフリーバッティングに比べると速い打球が飛ぶことは少ないと考えられるが、そもそもハーフバッティング練習の定義自体が必ずしもはっきりしないうえ、力加減については個人差があるから、ジャストミートを心がける以上、球足の速い打球となることは十分ありうるところと考えられる。なお、野球を含めたスポーツが、一般に事故発生の危険性を内包していることは否定できないところであるが、本件事故時の投手と打者との距離は試合時の三分の二程度しかなかったこと及び硬球が頭部を直撃した場合に生じることが予測される結果の重大性に鑑みると、本件事故当時の練習方法の危険性は、スポーツが常に内包する危険性を超えていたものと言わざるを得ない。

2 以上を前提として、秋元監督の過失の有無について判断するに、秋元監督は、野球部監督として練習方法を指示するに際して、ハーフバッティング練習の投手と打者との位置について、生徒の身体に対する危険性を有した距離を指示して、右練習を行わせたか、少なくとも、投手と打者との間に安全な距離が採られないままハーフバッティング練習が行われていたにもかかわらず、その現場に立会いながら何ら的確な指示を出さず、危険な練習方法を続行させたものであって、いずれにしても、宇都宮南高校教諭(被告の公務員)としての指導上の過失があったと言わざるを得ない。なお、<書証番号略>によると、ハーフバッティング練習と称される練習方法は栃木県内の多数の県立高校野球部でも行われており、その投手と打者との距離、投手及び打者の力加減は様々であるが、中には、先に認定した本件事故時の投手と打者との距離とほぼ同じあるいはこれより短い距離でハーフバッティング練習を実施している高校も存在することが認められる。右事実によると、宇都宮南高校で行われていたハーフバッティング練習が特殊ないし異常な練習方法であるということはできないと考えられるが、本件事故時に実施されていた練習方法の危険性は既に判示したとおりであり、秋元監督においても、これを十分認識しえたものと認められ、他の高校において同様の練習方法が行われていたことは、秋元監督の過失を認定するに何ら妨げとなるものではない。

そして、本件事故は、秋元監督の右指導上の過失に起因して生じたというべきところ、国家賠償法一条にいう公権力の行使には公立学校における教師の教育活動も含まれると解されるから、原告主張のその余の責任原因について検討するまでもなく、被告は、同条に基づき、原告が本件事故によって被った損害を賠償する責任があるというべきである。

3 被告は、本件事故は、原告がボールから目を離すべきでなかったにもかかわらず、これを怠ったために発生したものであって、原告自らの過失に起因する事故である旨主張する。そして、証人小倉及び証人秋元の各証言中には、原告は本件事故のときボールを見ていなかったように思うとの供述部分があるが、その内容には推測に基づくと考えられるところが多く、目撃証言としての信用性は高いとは言えず、右各供述部分から原告がボールから目を離したと認めることはできない。また、原告は右側頭部(なお、<書証番号略>及び証人中村源次の証言によると、高橋脳神経外科医師高橋正晁の説明による打球衝突部位は原告の右耳後側であることが認められる。)に打球を受けているところ、被告は、右事実から原告がボールから目を離した過失があることを推認できる旨主張する。しかし、右投げの投手の場合、投球後は、右肩が前方に出る形になるところ、原告が、このような状態でライナー性の打球を避けるため、身を屈めて防球ネット下へ隠れようとしたうえで反射的に顔を背けたとすれば右側頭部の後寄りの部位に打球を受けることも十分ありうることであって、打球の衝突部位から、原告がボールから目を離したと推認することはできない。なお、原告は、打球の衝突寸前には、ボールの方向を向いていなかったこととなるが、顔面正面への打球直撃を回避するための反射的動作として顔を背けることは人間の自然な行為であり、これをもって、原告に過失があったと評価することはできない。

五原告の損害

1  <書証番号略>、証人中村源次、同中村玲子の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、原告の治療過程及び後遺障害等に関して、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は、本件事故当日である昭和六二年二月一七日、高橋脳神経外科に入院し、同日から同年一〇月二〇日に同外科を退院するまで、血腫除去、頭蓋骨骨折、脳挫傷の手術、気管切開手術、シャント管埋込手術、人工骨埋込手術等五回に及ぶ手術を受け、右入院期間中、原告の母親中村玲子が付添介護にあたった。原告は、同外科を退院した昭和六二年一〇月二〇日から、身障センターに入所し、治療の継続とリハビリテーションにあたり、昭和六三年六月には、アキレス腱延長手術を受け、同センター入所中の平成元年二月二一日症状固定したが、その後も入所継続し、同年七月二六日、同センターを退所し、その後は自宅療養に入った。原告は、自宅療養後も、平成元年八月三日には、高橋脳神経外科でシャント管の取替手術を受けたほか、同外科へ通院して、投薬治療や各種検査等を受けている。

原告は、現在も、本件傷害が原因で左上下肢が麻痺しているほか、右上下肢にも軽度の障害が残り、入浴、衣服の着脱はもとより、排尿、排便を行うにも介助を要し、自力で立ったり、座ったりすることもできず、手すりを利用して立つことはできても伝い歩きはできず、移動には車椅子を要する状態にあり、かつ、常に脳の障害に起因する痙攣の恐れに晒されており、二時間を超えて一人で放置しておくことは極めて危険となる状態にあって、視力も本件事故前、1.5であったものが0.1程度に低下している。原告の右症状及び障害は、リハビリテーションにより若干の機能回復が見込めるとしても、大きく回復することは望めない状態にある。

2  右認定をもとに、原告が本件傷害により被った損害の金額について検討する。

(一)  治療費等

金九六一万八九二一円

(1) 治療費、装具代

金七七五万二九二一円

<書証番号略>、証人中村源次の証言及び弁論の全趣旨によると、原告が本件傷害により要した治療費、装具代の実費合計額は九六〇万二八〇円であること、右治療費等の請求に対し、日本体育学校教育センターから一八四万七三五九円の給付がなされていることが認められるところ、原告は、治療費等として、右実費から右給付額を差し引いた七七五万二九二一円を治療費等として請求するので同額を損害と認める。

(2) 入院付添費

金九八万四〇〇〇円

前記1認定の事実によると、原告は、高橋脳神経外科入院中の昭和六二年二月一七日から同年一〇月二〇日までの間、付添看護料相当額の損害を被ったと認められるところ、右付添看護料としては一日あたり四〇〇〇円が相当であり、これに右付添入院日数二四六日を乗じた金額である九八万四〇〇〇円が損害となる。

(3) 入院雑費 金八八万二〇〇〇円

原告は、高橋脳神経外科及び身障センターに入院していた昭和六二年二月一七日から平成元年二月二〇日までの七三五日間(原告が七三五日間入院したことは当事者間に争いがない。)、入院雑費相当額の損害を被ったと認められるところ、右入院雑費としては一日あたり一二〇〇円が相当であり、これに七三五日を乗じた金額である八八万二〇〇〇円が損害となる。

(二)  家屋等改造費

金二〇〇万円

<書証番号略>、証人中村源次の証言によると、原告が車椅子を利用して家族と自宅で生活するため、原告宅では、八畳洋間、縁側を増築し、ベッド、リハビリテーション用の器具及び手すり等を設置して車椅子による生活に適するようにしたほか、玄関を車椅子が入りやすいように改造し、また、介助により入浴ができるよう浴室に手すり等を取り付ける等の工事を施し、右工事費用として工務店に三九四万円を支払ったことが認められる。このうち、洋間等の増築は原告自宅家屋の一般的効用をも増すものであること及び原告の障害の内容、程度を勘案すると、右工事費用のうち本件事故と相当因果関係のある損害は二〇〇万円と認めるのが相当である。

(三)  後遺症による逸失利益

金六八六四万七四七四円

前記1の認定事実によると、原告は、本件傷害により、その労働能力を完全に喪失したものということができる。そして、原告は、原告請求にかかる症状固定時(平成元年二月二一日)から六七歳までの間に少なくとも四七年間は稼働可能であったと認められるので右期間の逸失利益の本件事故時における現価を、昭和六二年賃金センサスによる高校卒業男子の産業計、企業規模計、年令計の平均年収四二〇万九一〇〇円を基準にして、ライプニッツ係数により算出すると、次の算式のとおり六八六四万七四七四円となる。

420万9100円×(18.1687−1.8594)

=6864万7474円

(四)  将来の付添費(介護料)

金二四五八万五〇八六円

前記1認定事実によると、原告は、平成元年七月二六日に身障センターを退院し、自宅療養を始めた後も、本件事故の後遺症のため、父または母の付添介護を必要とする状態にあり、その必要は、今後も終生にわたりなくならないものと認められる。そして、原告の現年齢である二三歳の男子の平均余命は、53.84年であるから、右退院以降少なくとも五六年にわたり付添介護が必要となるが、その費用は一日当たり金四〇〇〇円(年額一四六万円)とするのが相当であり、右期間の介護費用相当額の本件事故時の現価をライプニッツ係数により算出すると、次の算式のとおり金二四五八万五〇八六円となる。

146万円×(18.6985−1.8594)

=2458万5086円

(五)  慰藉料 金二三〇〇万円

(1) 入院慰藉料 金三〇〇万円

原告の入院期間、本件傷害の内容、治療経過等を考慮すると、原告の入院中の精神的苦痛に対する慰藉料は三〇〇万円が相当である。

(2) 後遺症による慰藉料

金二〇〇〇万円

原告の後遺症の内容、程度に鑑みると、原告の後遺症による精神的苦痛に対する慰藉料は二〇〇〇万円が相当である。

(六)  損害の填補

原告が日本体育学校教育センターから障害見舞金として一八九〇万円を受領したことは当事者間に争いがないところ、これを右(一)ないし(五)の損害合計額(一億二七八五万一四八一円)から控除すると、原告の損害額は一億八九五万一四八一円となる。

(七)  弁護士費用

原告の認容額、本件訴訟の審理経過、本件訴訟の難易等の諸事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は七五〇万円が相当である。

六結論

よって、原告の本訴請求は、前記損害合計金一億一六四五万一四八一円及びこれに対する本件事故発生後である昭和六二年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言は認容金額の二分の一の限度において相当と認め、同法一九六条一項を適用し、仮執行免脱宣言の申立は却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林登美子 裁判官達修 裁判官朝日貴浩)

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